元気です

気づいたらBlogに移行していた!

 

元気です。でも年明けからちょっと前まで大変でした。

不思議な縁で会社創立に携わってくれといわれ、うーん、何で私?必要?と思っていたらあれよあれよという間になんだか大変なことになり…とっても品のない人たちだとあとからわかり、辞任したり、色々ネガティブなことがありました。

その副産物ではないのですが、新たなジェントルマンとの協業が決まったりと、一方では嬉しいことも出てきて相変わらずな日々です。今年後半は海外も増えてくるので、またその時に備えて…ということで、最近はちょっとゆっくり過ごしています。たまにはいいのだ。

腎不全猫の看取り

私自身、猫を看取った経験が実はなかったので、どのような最期がやってくるのかと「怖くて」仕方なかった。たくさんのWEB検索をしたがピタリと来たのがなかったので、もし今後、心の準備をしたい人がいたらというのと、自分の今後のためにもメモをしておく。
うちの猫は、腎不全で亡くなったが、たぶん、腸の病気も併発していた。これは私の希望で「無理な延命はしない」と決めていたので病気についてはあまり深追いしなかった。
腎不全と診断されてからの予後は極めてそれぞれで、補液をして何年も元気でいられる猫もいるが、うちの猫のよう3ヵ月ほどで旅立ってしまう猫もいる。
旅立つ3週間前、出張だったため、補液含め入院させた。補液ではなく点滴をしたのが効いてとても元気になって帰宅した。しかしその水分は1日と持たず、翌日から補液に毎日通院。このころから徘徊が続き、疲れるとばったりと眠り、起きたら徘徊、という感じだった。原因は不明、獣医によれば、腎不全は徐々に脳もやられていくので、痴呆ではないかとのこと。ちょっとでも外出するときや部屋を離れるときは危ないのでケージに入れていた。ケージに入れると出せとすごく鳴いていた。
2週間前、食欲がなくなる。食べてほしい半分くらいしか口にしてくれない。
1週間前、痩せすぎて、筋肉がなくなり、足の関節が落ち込んでしまうためうまく機能しない、徐々にびっこをひくようになる。家で歩いている姿を見たのは、入院する前で最後だった。
亡くなる4日前、入院。これは私の出張のため。もう食べられず、水を飲むのもつらそう。ただ、入院させる日に窓際に自分の力で登っていたのには驚いた。日に当たりたかったようだ。これが、動いている姿の最後。生きていてねとお願いして出張へ。つらい思い出になった。
亡くなる2日前、お迎えへ。あまりの衰弱ぶりに動物病院で絶句する私に、獣医が、点滴といっしょに退院することを勧めた。あとは家でのんびりしましょうと。この時の悲しい気持ちは忘れられない。在宅看取りの準備。しかし家に帰ってくると起き上がろうとする。つらかった。ほとんど横たわり、もう動けなかった。にゃあという声も出なかった。ただ心臓が強くて驚く。獣医も往診にきて「心臓が強い。本人はちょっと辛いかも」という。私もそう思った。でも心臓が強くて生きている、まだお迎えが来ないのなら、与えられた命は全うするのが動物。点滴は良いタイミングで外してあげようと思っていた。点滴は延命ではなく、安らかに旅立つための道具。点滴も辞める方がいますが、私は賛成できません。延命ではないです。また、びっくりしたことに、ちゅーるをあげたらほんの少しだけ舐めた。なんて子なんだろうと心底驚いた。また、もう立てなかったが、トイレに補助して入れると猫トイレでおしっこをした。本当にすごいと思った。
亡くなる日。もう立ち上がれない。頭だけは何度か起こしていた。寝返りは打てないので、1,2時間ごとに私が寝返りを抱っこしてやっていた。
午後くらいから、足をぱたぱたさせることが増えた。苦しい?獣医に相談し往診に来てもらうと、もう、朦朧としていて所在無いというか、不安な状態なので抱きしめてやってもいいということだった。そうなったときは、声をかけて、撫でていた。抱っこは明らかにつらそうだったので、我慢した。お腹がぽんぽこりんになったので、私としてはそろそろ点滴を止めたらいいのでは…と獣医に相談するが、身体の中で液が漏れているわけではないので良いが、速度を落とすか?と言われたので、かなり少なくした。また、獣医が「あったかすぎるのもつらいと思う」と温度についてアドバイス。呼吸もかなり苦しそうになっていたので、温度を下げると、ばったりと眠った。心臓はしっかり動いていたので、もしかしたらもう数日頑張るかな?と思い、何も食べていなかったのでコンビニに行き、付きっ切りでできていなかった洗濯でもしようと思ったその時、動きがおかしくなった。
足をぴんと揃えて痙攣が始まった。獣医が最終的には来るといっていた痙攣だ。慎重に見守る。この時はじめて失禁したのを見た。そろそろだなと思っていたら動かなくなった。それくらい静かに旅立った。痙攣を見るのがつらいのではとおびえていたが、昔飼っていた犬がてんかん持ちだったのでそれを見慣れていた私からすると軽い痙攣で、心の衝撃はなかった。5分くらい意味が分からず心音や呼吸を確認したが、獣医さんにも来てもらい確認してもらい、点滴を外してもらい、死後処理(おしっこを出して、お尻に綿を詰めてくれた)をしてもらった。これは良かったと思う。飼い主が冷静にできるはずがないのです。
看取りはつらいかもしれないけれど、私は自分の父が最期苦しそうな様子も見ていた経験もあり、それから比べると、穏やかな旅立ちだったと思う。父については、栄養の入った点滴をやめてほしかったのに、最期までつけたままだった。それが嫌だったので、猫については、なるべく自然に枯れていくように旅立たせてやりたかった。それができていたといいけれど。

うちの猫は死んでなお可愛かった。つめたい頭の感触は、忘れられないと思う。目は閉じられなかったが、死ぬ前から目は開きっぱなしだった。獣医は「そういうものなんです」と説明していた。

今のところの気持ちとしては、あと1匹の猫をきちんとかわいがり、看取ったら、もう二度と動物は飼いたくないです。。。これがもし、当初の環境通りに「2人で飼っていた猫」だったとしたら、また新しい子を迎えるだろうと思う。でも、実質ひとりでペットを飼うって辛い。うちは今の猫がいなくなったら、それで最後。あとは夫が犬を欲しいという時期が来るのなら飼えばいいけど、私はサブでありたい…。

前回のエントリをして海外出張に無理無理行き、どこに行ってもちっとも楽しめない(海外の時はオフタイムは楽しもうと思っているけど…)どころかつらい気持ちばかりが募ったが、なんとか帰国し、もう意識朦朧になっていた猫を連れ帰り、昨日看取ることができた。
腎不全猫の看取りは時につらいという情報を得ていたので相当覚悟していたが、死んでしまったのが5分くらい理解できずにずっと声をかけていた。心拍が確認できないのは私がどきどきしているから?鼻息が聞こえないのはエアコンの風のせい?取り乱してしまったが、恐れていた痙攣も1回で、その一度の痙攣で大きな息をしたときにたぶん息絶えたのだと思う。想像したよりも穏やかで、立派な最期だったと思う。
動物病院の神対応にて往診や、今日になっては生花が届くなど恐ろしく良心的だった。(別に料金は高すぎない)猫も病院と相性が良かったのも助かった。10月からちょっとグレーがかった毎日を送った。飲み会はさらに断り、バレエも行かず、最後は好きになった乗馬もさっぱり行かず引きこもって世話していた。仕事で終日出かける日は日帰り入院、日帰り入院でない日は通院。
でも思えば犬のように利口で「出張から帰ってくるまで生きてて」という願いをかなえてくれ、あ、もう大丈夫なんだな、と息絶えたのだと思う。獣医さんに「いつまで持ちますか?」と聞いても数週間前から答えは一緒で「強い子だから、がんばっているけど、もう普通ならいつ何があってもおかしくない状況」だった。しかし強い猫だった。最後くらい私の面倒をきちんと見なさいという彼女なりのメッセージだったような。子どものころに病死した犬の最期もタッチの差で看取れず、自分の父親の看取りもできず、という私だったが、猫の看取りはきちんとできた。ちゃんとしろ、ということだったのだと思う。
あと1匹猫はいる。この子もしっかりと最期まで面倒を見る。しかし、ぽっかりと心に大きな穴があいて、とても寂しい。寂しい年末年始になった。

我が家の猫も17歳。2か月前に腎不全の診断を受けてから吐血したり供血してもらったりでも頑張ってきたがそろそろお迎えの来るときが見えてきた。実は私、ここまで高齢の猫を飼ったことない、つまり、看取ったことが無い。子どもの頃にたった4歳で病死してしまったビーグル犬は最期までお世話したのだけど。
その時が近づいたらどうしようとこの2か月徹夜したり、眠れなかったり、色んな事があった。そんな中で「ねこが危ないので」と仕事休めるはずもなく出張も取りやめるわけいかず、泣く泣く入院及び通院を続けている。幸いにも動物病院が超・近所で、猫との相性もいいので、それは恵まれていると思う。
老いていく猫を見て死ぬほど悲しかったのは通り過ぎて、今はどこまで頑張るかな?と、弱弱しくなったからだを支えながら応援する気持ち。延命治療はしていないけれど、点滴だけは続けている。なるべく楽に送ってやりたい、思いはそれだけ。
ペットの終末期には莫大な金がかかります。あと、心労も家族同様にあります。ペットを軽い気持ちで飼いたいと思う人は、良く考えてほしい。特に一人暮らしの方。ただ、私はお子さんに生死を含め動物と触れ合う機会を持つことはとても良いことだと思っているので、ファミリーでよく相談してペットを飼う事にはとても賛成派です。
うちはもともと前夫と飼った猫なので本来は2人で飼っていたのが離婚、私が2匹とも引き取り、その後再婚したけどいまの夫はひどい猫アレルギーで一切世話ができないので事実上私ひとりで飼っている。私の母がヘルプに来てくれる状態。なかなかしんどいが、あんまり考え過ぎると私が病気になってしまうので出来るところまでやろう、と多少割り切れた。今週末の出張が終わるまで持ちこたえてよ、頼むよ!あとはじっくり私が面倒みるからね。

生きてます(笑)その後円形ハゲが出来たり、出張後に体調を大きく崩したりと今年はなんだか体調が悪くて、働き方、余暇を含めた生活の仕方を見直す時期となりました。長く続けていたバレエも場所を変えて相当緩やかなペースにした。週末のルーティンのレッスンをやめたことで夫との時間も増えて、共通の趣味も出来、ますます楽しい毎日ではあります。仕事は前エントリでは今年スランプと思っていたようですが、今のところは大丈夫。相変わらず海外で仕事するためにどうしたらいいかを考えてはくじけている毎日。年内は仕事も詰まっているので、年明けに始動できるといいけど。

前回のエントリ以降疲れがどーっと出てしまい、やる気がどこかに行ってしまった。体調も崩しがち。そんな中、決まりかけていた案件が消え、既存顧客からもいろいろとこれまでなかったような事が起きてきたりと、今年はどうもスランプの一年になりそうです。まあ、ずっと良いわけないから、耐え時なんでしょう。海外もなんとなく自分でストップしてしまっている。負けるなよぅ、私。

昨年後半から先月まで怒涛の仕事量で、ちょっとやりすぎだよなあ…という毎日、3月に入ってやっと「あぁ、ひまだ」という時間ができるようになって少しうれしい日々。
念願だった海外での仕事も初めてこなし(ちょうど今日、入金もあって安心)色々と変化を感じている。海外に行き始めるとやっぱり流れみたいなものが変わってきていると思う。良い変化もあるが、当然、あまりよくない変化もある。変化を望みたくない会社からの契約は小さくなってきた。でもこれは当然だと思う。逆に海外向けのやや難しそうな案件候補や、海外に行ってください、と言う仕事が増えてきている。私の目標は、海外3分の1、日本3分の2。半々になってもいい。偉そうにいろいろ表に出て言うのはあと10年くらいであとは海外中心にしていつの間にか忘れられる。日本で私の属する業界が保守的で発展しないのは、重鎮たちが70代でもなお偉そうにふるまっているから。さっさと消えて欲しい。私は彼らが消えたらスっと国内に戻ることもあると思う、必要に応じて。できれば、表じゃなくて、下支えで活動したい。
それで、英語は引き続き勉強中だが、なかなか向上しない。英語で仕事できたのは奇跡だよな。でもみんな、こんなもんなんだろうか。。。